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2005年09月11日

新宿区立西戸山小学校  加藤 啓

夢の生まれる場所

 【交渉】女の子が作品をもってくる。「できました。」私は心の中で思う、〈まだ白いところがおおいなあ〉と。そこで、〈このへんにも楽しい工夫があるといいかな、動物とか花とか〉と言おうか、〈おっ、楽しい工夫で作れたね。〉“出来上がり”として受け取るか迷う。作品にあらわれた色や形象や筆致や工夫についてたどたどしく会話しながら、〈まだたくさん時間あるのにもういいのかな、もっとチャレンジしないかなあ〉と思う。私が題材提案にあたって考えたねらいや授業のやりくりと、女の子のもつ表現の速度、欲求の質、この異なる欲求の流れを持つ二人の間の瞬時の交渉を成功させる秘訣なんてあるのだろうか。この場合、女の子の表現欲求の大いなる満足と、造形的価値及び内容の想像力に関わる価値の大いなる達成との合体を、この“成功”という言い方で考えているわけだが。DSC00034.jpg
 【余白】大人たちは授業で描かれるこどもの絵の余白(描かれていないところ、残っているところ?)を嫌う。子どもはそんなことに興味持たない。絵の描かれていないところに対する嫌悪とかくれた恐怖、そこにこどもからの攻撃を感じてしまうのではないか。こどもの絵の余白、それはサボタージュの白、残余の白なのか、未だあらわれないものの場の白なのか、不在の白なのか。
 【鏡】対面する画面それは壁であったり、路面、校庭、砂浜であったり、一枚の画用紙であったりする。それらは自分を映す鏡ではないだろうか。画面に描かれる線、色はそこに映る自分の姿、自分の肉体(欲望、言葉、感覚、身体性)ではないだろうか。
 【夢の生まれる場所】ある歌のこんなフレーズ、『世界で一番大切なこと、それは何か?君は知っているかい。世界で一番大切なこと、それは夢見ること。』が好きです。私は画面というものが、いまだあらわれないもの(こどもの可能性、こどもの肉体)の場でありたいと願います。そこにこどもが自分の夢を自分の像として描く(生きる)こと願います。

投稿者 zukodaisuki : 2005年09月11日 00:14

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