« 世田谷区立桜小学校 楚良 浄 | メイン | 最終日のようす そして搬出 »
2005年10月07日
品川区立第三日野小学校 内野 務
図工のわたしのいい時間
映画「トントンギコギコ図工の時間」公開をきっかけに、多くのマスコミが、この教科の意味や、「図工の時間」そのものにも着目してくれる。最近の新聞には、『無駄な時間の喜び伝える』というタイトルが掲げられる。
図工室に来て仕事をしていた4年生の女子にこの記事を見せたら、「失礼しちゃうはね、《いい時間》だよね。」って返ってきた。こうしてまた子どもから元気をもらった。ところで、この女子たちは校庭につくった「本物の水」を張った《三日野名物露天風呂》のご案内ポスターを朝一で描きに来ていた。「うん、やっぱり《ムダないい時間》なのかな、」と一人つぶやく。
映画のタイトルに後押しされたわけではないが、近頃、この「図工の時間」を考える機会が多い。《図工の時間》を考えれば、考えるほど、子どもにとってこの時間は《過酷な時間》になってくるようだ。それは図工の時間を子どもの時間に返す手続きをしているからである。イスをつくること、雷神を彫ること、「わたしだったらこんな形を作ったり、彫ったりするんだ。」という作るものを自分で決めたら、次に「どうやって、どんな順序で作っていくか」を子どもにしっかり考えさせたい。だから着手前に子どもとしっかり、《何時間で、何日でやるんだよ。何時間でできる?》と確認を取る。子ども一人一人の時間でしっかり考え、しっかり作り出すことを願う。子どもに時間を委ねたい。途中うまくいかなくなったら、自分でまた引き返す逆戻りの時間でもいい。じっと立ち止まった時間になったら、やがて自ら動きだせる方途を探して欲しい。 図工室でのものづくりは、こどもの大切な時間づくりであることを、いつかそれこそ今を離れた遠くの時間に気づいてくれるかも知れない。だからそっけない「無駄な時間」より、きっぱり「わたしのいい時間」をつくって欲しい。今でなければつくれない時間がある。
投稿者 zukodaisuki : 2005年10月07日 00:34