2005年09月17日
多摩市立多摩第三小学校 柴崎 裕

子どもをつきうごかすもの
今生きている実感が、頼りないものだと思います。生きている実感は恐ろしくて、汚くて、冷たくて、鋭くて、悲しくて、苦しい、、、そんな世界のもう一つの有り様にも、つながっています。それは手ごわく、その一つ一つに反応するのは、人間にとって大変なことです。だから人間は実感をわざと遠ざけて、自分に都合よく居場所を作り替えてきたのではないでしょうか。日常の生活にあまり実感はいらないのです。しかし、生きている人間に「実感」が本当に必要ないかというとそんなことはないと思います。実は心の奥深くで、生きている確かさを求めているのです。実感は確かさを補正します。
感じることをせずにつくることはできません。いや感じてしまうと何かしないではいらせません。だとすれば図工はつくる教科というより、感じる教科だと言えます。出力より入力を今考えたいと思います。
投稿者 zukodaisuki : 00:27 | コメント (0)
2005年09月13日
新宿区立鶴巻小学校 山田秀子

子どものリアルと教師のリアル
ものや人と出会い、あそび、戯れ、対話し、試行錯誤し、快さを実感したり、苦悩したり、、、
ひとりひとりの子どもの内に、時には形にならない、言葉にならない何かが生まれ、なんだか楽しい、なんだかかっこいい、なんだか気持ちいい、なんだか不思議。。。
そんなたくさんのものを感じながら感性を磨き、子どもたちは大きく育っていくのだろう。
キラキラと輝く瞳
熱中している顔
満足した笑顔
いろいろな顔に出会えるところで私は仕事をしている。責任重大だ。。。と思う。
子どもたちが我を忘れて熱中してしまう瞬間をどれぐらい作ってあげられるのか。それはいくら考えたからといって上手くいくものでもない。今ここに、私の目の前に子どもたちがいて、私がいて、生まれてくる。子どものリアルと教師のリアルとの融合である。
教師自身どれだけ我を忘れて没頭できる瞬間を過ごせる人間かどうか!!!
自分ができなくて子どもに要求することができるのだろうか?基本は簡単、楽しいことを見つけて思う存分楽しめばいい。楽しくって没頭できる感覚は、子どもだって大人だってかわりはないと思うから、、、